name : Ketut Widia
birthday : 1947
birth place : Mas Village, Bali
prize :
 

exhibition data:
2004 Group exhibition "Leha-leha" at Bidadari Gallery in Mas - Ubud
 

comment from BIDADARI :

クトゥッ・ウィディア、一体、何が彼に美しく魅力的な作品を生み続けさせているのだろうか?革新的である以外に、実は彼は時間に対して非常に厳格な芸術家だったのである。ウィディア曰く、「生きるということは仕事をしなければならないということだ。生きるために仕事をするのではない。一日に8時間だけ仕事をすることで、恐らく我々は人生のうち3分の1のみを有効に使い、残りの時間は無駄にしているということなのだ。」この態度は見習いたいものである。
彫刻家の家族という環境に育ち、ウィデリアは幼少の頃(6歳頃)より彫刻芸術に親しんでいた。彼の初期の作品の多くは、鳥やあひるの彫像など周辺の自然に影響されたものであった。彼の初めての作品を売りに行く途中、川岸を通った時に彼は偶然にもそこで水浴をしていたイダ・バグス・ティラムに出会った。「先生は私の作品を見て、先生のアートショップで働きながら学ばないかと誘ってくださったのです。その時はまだ在学中だったので、私は1963年になってやっとそのお話を受けることが出来ました。中学を卒業してすぐ、私が16歳の時のことです。私の同期はたった3人だけでした。」
こうして、ウィディアの人生における新たな章がスタートした。彼は、一つの作品の製作における全過程を尊重し、そのうちの一つたりとも侮ってはならないということを教わった。「まず初めに、私は、彫刻道具を正しく研ぐこと、鑢(やすり)がけ、木を切るところまでを教わりました。いきなり像を作るようには言われませんでした。その頃まだ若かった私には厳しくきつい教育でした。私はよく仕事が終わってから家で泣いては、自己反省を繰り返していました。恐らくその頃のことが、以前よりは辛抱強い、今の私を作り上げたのでしょう。」よく彼の作品を批判した、しかし彼がこよなく尊敬した師匠を回想した時ウィディアの目に涙が溜まった。
批判されることによって、知らず知らずのうちに彼の内面に、経験を積み重ね、自身の能力を向上させたいという欲求が育まれた。その頃の彫刻家の大部分の作品が装飾的なディテールに凝る傾向にあったにもかかわらず、ウィディアは1976年に創作された彼の作品「人生の生」(Hidup dari Kehidupan)を通して、生きる意味についての考察を堂々と表現した。当事まだあまり使われていなかった木の根の部分を媒体として、ウィディアは、私たちが人生において出来る最善のことは何かを理解し、考察することの大切さについての認識を人々に広めようとした。そればかりでなく、1984年には彼は作品への色付けを行った。まだ彫像に色付けをする芸術家は出ていなかった頃である。
現在に至るまで、ウィディアは、深い考察と思考を基盤とする抽象的スタイルの作品で知られる芸術家である。もはや、彼の初期の作品のように昔話の話の単なる一部だったり、周辺の自然環境の描写であったりすることはなく、表現手段としての彫像というメディアに、彼は個人的な表現を多く込めている。
 
art works :
"Waiting Somebody" "Waiting Lovely" "Two Face" "Kidding"